

プロジェクトの沿革

1960年代後半、日本の製紙業界は原料について海外から長期にわたる安定供給の道を確立するため開発輸入の道を模索していました。
当時ブラジルでは、国の助成策によって盛んにユーカリ植林が行われていました。そうした中で、ブラジルの鉄鉱石輸入で日本との関係が深まっていた国策会社リオ・ドーセ社から、ユーカリ材の製品化事業のパートナーを求めてきたことから当事業は始まりました。
1971年8月20日、日本の大手紙パルプメーカー11社と伊藤忠商事は日伯パルプ資源調査(株)を設立し、事業化のフィージビリティ・スタディを開始しました。1973年6月4日、事業化の方針が決定され、また、日伯パルプ資源調査(株)は現在の日伯紙パルプ資源開発梶iJBP)に改組されました。
1973年9月13日、JBPとリオ・ドーセ社は合弁会社としてミナス・ジェライス州にユーカリ材のパルプ製造会社セニブラ社を設立しました。セニブラ社はJBPが48.52%,リオ・ドーセ社が51.48%の出資比率で設立され、生産されたパルプの50%を日本側が引き取ることが合意されました。またこの年11月、日本政府は、この事業が日本の紙パルプ資源の長期的確保という観点から重要であるとの判断から、この事業に所要の政府支援を与えることを閣議決定し、この事業をナショナル・プロジェクトと位置付けました。
1997年にリオ・ドーセ社は民営化されました。民営化後のリオ・ドーセ社はその経営をコア・ビジネス(鉄鉱石)に集中する方向にシフトしました。2001年5月、リオ・ドーセ社はセニブラ社を含む紙パルプ事業資産の売却を決定し、セニブラ社株式の競売を行いました。JBPは、優先買取権を行使し、2001年9月14日にリオ・ドーセ社の所有するセニブラ社株式(51.48%)を買取り、セニブラ社を日本側100%の支配会社といたしました。
操業開始当初(1977年)に25万トン/年であった生産能力は、1996年に第2ラインが稼動し70万トンに、その後逐次能力増強を行い、最近では2006年12月の20万トン/年能力増強工事の完了により、年産118万トンに達しました。
 
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